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安部公房を語ろう
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Re:安部公房とシュルレアリスム
Icon In Reply to: Re:安部
侍 - 投稿日時:2002年08月15日 09時44分48秒
>  シュールレアリスムが安部に与えた影響は実存主義と共産主義並に大きいと思います。でも、シュールレアリスムだけを用いて小説を書いたわけではないですよね。
>
全くその通りだと思います。ただ、実存主義と共産主義は公房の問題意識を形成し、作品の着想に深く関わっていますが、シュルレアリスムはそれだけじゃなくて、作品に於ける仕掛けやレトリックなど技術的なことにまで関わっているとは云えないでしょうか。

> 向こうって、どこですか?^^)無意識のことでしょうか?
> 無意識が語りかけるのを待つのって、何かの啓示が来るのを待つみたいですね。
>
痛い。確かにそこは自分でも、如何すればいいか確然と云う事が出来なかったのでそれらしいことを云ってみたところです。
少なくとも云いたかったことは、シュルレアレテは万人普遍な方法(言語のような記号)を以って説明できないということです。無意識を説明するときに、意識が認識できる形をとれば当然それは無意識とは呼べなくなります。無意識は経験を通して蓄積されていくものである筈ですから、公房自身が云うように、彼の小説を出来る限り純粋な形で「体験」し、以って超現実を「理解」するわけです。(勿論この理解は理性だけでは出来ません)
そして、無意識が語りかけてくるというのは、常に体験しなくてもその理解を呼び覚ますことが出来ることです。(このことは日本語力の稚拙な小生にあっては解説できそうもありません)

> 「広義での理性の元に捉える」ことと、「超現実を所謂理性で理解することは不可能である。」とは矛盾しませんか?広義での理性というのが、曲者なのでしょうか?
そうです。曲者です。確かに紛らわしいですね。
そもそも超現実であるところの夢やら狂気やらが合理主義者の云うところの「理性」での認識から外れている、ということは前に触れましたが、それが所謂理性では超現実を理解できないということです。
しかし、シュルレアリスムという運動が何かしらの方法を以って超現実を表現しようとする運動なのであってみれば、その表現されたものを、例えば体験を通して「理解」(合理主義的な理性での認識のことではない)できるわけで、その理解するということが可能であるという意味では、その体験を通しての理解能力を理性と呼んだわけです。……巧く説明できてませんね。
> 「意識を超えたところ」って無意識ですか?
一応そのつもりです。しかし無意識での「理解」は通常使われている理解とは違うのでそれがどんなものであるかは難しいですね。

> 「最早公房自身が論理も文脈も見失ったところ」ってどこですか?
これは『シュルレアリスム宣言』の中でスタンダールの好さを説明しているくだりがあるんですが、その表現をそのまま借りたものなので、説明はブルトンに譲ります。

実際自分でも満足できる理解は出来ていないので、これから建設的な議論で解き明かせて行けたらと思っています。あと、適切な日本語が見つからない、存在しないということがかなりあって歯がゆい思いです。

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Re:安部公房とシュルレアリスム
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