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| Re:安部公房とシュルレアリスム | ||
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侍さん、こんにちは。こういう話は難しいですね。 ーーー引用開始ーーー シュルレアリスムはそれだけじゃなくて、作品に於ける仕掛けやレトリックなど技術的なことにまで関わっているとは云えないでしょうか。 ーーー引用終了ーーー 確かに、芸術における方法を提示している点は他の思想とは違いますね。 また、非常に壮大な思想かつ芸術運動ですね。私の理解は、「合理主義が対象にしていたものは専ら意識の世界であり、無意識の世界は無視され続けてきた。それに対して、シュルレアリスムは、無意識の世界にスポットライトを当てて、それを芸術の対象とし、意識の世界と統合した世界、つまり超現実(シュルレアルテ)を理解しようというもの」というところです。 ーーー引用開始ーーー 少なくとも云いたかったことは、シュルレアレテは万人普遍な方法(言語のような記号)を以って説明できないということです。 ーーー引用終了ーーー シュルレアレテは言語では説明できませんか。しかし、シュルレアルテ或いはシュルレアリスムをいかに援用しようとも、小説は言語で書かれるものであり、その解釈もまた理性で行い、言語で記述せねばならない(他者に説明するために)と思います。もっとも、解釈というか感想を自分の中に留めておきたければ、記述する必要も無いのですが。 ーーー引用開始ーーー しかし、シュルレアリスムという運動が何かしらの方法を以って超現実を表現しようとする運動なのであってみれば、その表現されたものを、例えば体験を通して「理解」(合理主義的な理性での認識のことではない)できるわけで、その理解するということが可能であるという意味では、その体験を通しての理解能力を理性と呼んだわけです。……巧く説明できてませんね。 ーーー引用終了ーーー 「超現実の理解」という中の理解という言葉を理解することが難しい。^^;) 体験するところまでは分かりますが、その次の「体験を通しての理解」ということが具体的に何を意味し、どうすればそれを達成しうるのかが、これからの論点になるような気がします。 ーーー引用開始ーーー > 「最早公房自身が論理も文脈も見失ったところ」ってどこですか? これは『シュルレアリスム宣言』の中でスタンダールの好さを説明しているくだりがあるんですが、その表現をそのまま借りたものなので、説明はブルトンに譲ります。 ーーー引用終了ーーー 私が手元に置いている『シュルレアリスム宣言』(『アンドレ・ブルトン集成 5巻』 生田耕作訳 人文書院刊)では、以下のように書かれていました。 ーーー『シュルレアリスム宣言』より引用開始ーーー スタンダールの主人公たちは、作者の評価の打撃のもとで死滅する。いかほど、適切な評価にせよ、彼らの栄光になにひとつ付け加えるところはない。わたしたちが彼らを真に見出すのは、スタンダールが彼らを見失ったところでだ。 ーーー引用終了ーーー 登場人物が作者の意図から外れだしたら、ある意味成功というところでしょうか。 安部も『密会』について次のように語っています。 ーーー『「明日の新聞」を読む』(安部公房全集28巻所収)より引用開始ーーー こんど読みかえしてみて、僕はあの溶解し収縮していく「溶骨症」の娘がますます好きになってしまった。とくに意地悪な女秘書が、「収縮娘」をクッションがわりにして車椅子に掛けているところがあるでしょう。あそこから急に実在感が強まったな。 ーーー引用終了ーーー また、『シュルレアリスム宣言』に出てくる、レトリックや詩は、安部の『壁』を想起させるもので、影響は私の想定以上に大きいのかも知れません。 | ||
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