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| 安部公房VSウィトゲンシュタイン | ||
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実は最近安部公房をあまり読んでいないのですが、それでも『笑う月』は短いのでときどき手にとることがあります。 その『笑う月』のなかに「たとえば、タブの研究」というのがありますが、タブとはいったいなんなのでしょうか?これに対する一義的な答えはおそらくないでしょうし、あまり意味のない問いかもしれない。 しかしながらタブということばの出所はつきとめられるかもしれない。それはウィトゲンシュタインではないかと私は考えまし た。 ウィトゲンシュタインの『青色本』の冒頭近くに「タブ」が現れます。この本の主題は意味をめぐる探究であって、語の意味とは何か、語の意味の説明はいかになされるのかという疑問をもって始まります。語の意味を、その語が意味するものを直接指し示すことによって説明することはごく自然に思えますが、それは見かけほど単純ではないことでないことをウィトゲンシュタインは「タブ」という言葉を使って説明しています。 あるひとが一本の鉛筆をもって「これがタブである。」といったとする。するとそこには様々な解釈の可能性がひらけてしまう。「これは鉛筆である。」といっているのか「これは円形である。」といっているのか「これは木である。」といっているのか等々。 「タブ」の発想の種子のひとつはウィトゲンシュタインであるという説は、捨て去るべき根拠のない私の単なる思い込みでしょうか? あるいはこんなことをすでに論じている人がいるのでしょうか?
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Re:安部公房VSウィトゲンシュタイン | ||
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