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| Re:「赤い繭」(玩具について) | ||
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gcdzd12061さん、はじめまして。 たった5頁の「赤い繭」がもつ広がりをこうしてみなさんといっしょに味わえるのはとても嬉しい事です。 「赤い繭」に対する私の解釈を書きます。 「ことばは存在の家である」 これは後期ハイデガーの主張ですが、この補助線を使って『赤い繭』の可能な解釈のひとつを開いてみます。安部公房の初期作品には存在論が影を落している。其れ故こんな試みも許されるのではないでしょうか。 家とはここではことばなのです。ひとの家(ことば)は自分の家(ことば)ではない。いま誰のものでもないことばもやがてだれかのものになってゆく。書く事(自分を解きほぐして繭になること。)によって始めて自分の家(ことば)が生まれる。しかし全てをことばに変えてしまったとき、自分は「からっぽ」になる。そして残った繭(ことば)は他人の「玩具」にされてしまう。 書くことによって自分が空白化してゆくことへの作家の怖れ。自分の作品が他人の玩具になってしまうことへの怖れ。こんな風に読む事も可能だと思います。 こんな風に書くと、私こそ安部の作品を玩具扱いしているのではないかという怖れに囚われてしまいます。
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Re:「赤い繭」(玩具について) | ||
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