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| はじめまして/赤い繭 | ||
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初めて書き込みいたします。 「知りたいのデス!」「赤い繭」の2投稿を読み、私も思い出しました。高校の授業で初めて出会った安部公房作品は「赤い繭」でした。 私の個人的な解釈を書きますならば…。 「おれ」が「繭」になって、「彼」に息子の玩具箱に片付けられてしまう最終部分。 まず、「おれ」は人間で、不条理にも「繭」になってしまいます。「おれ」の身体を包み込むように、「おれ」の居場所のように出来上がっていく「繭」ですが、いざ出来上がると、「繭」の中にある筈の「おれ」がいない。今まで自分の居場所を求めていた「おれ」にとって、これは不条理でしょう。 「おれ」が独白する「おれ」の不在。「おれ」の身体でできた「繭」ですが、「おれ」≠「繭」なのでしょう。小説は話者を変えて続き、ここに「彼」が登場します。この「彼」は何者か? 私は「誰でもよい誰か」だろうと思います。「おれ」に居場所がないことを告げた「警官」とは、同一人物であってもよいし、違っていてもよい。ともかく「彼」(実際的には「彼」の息子)の支配下に「繭」を置くのです。「おれ」が「おれ」であったときには幾ら渇望しても得られなかった居場所。なのに、「繭」になって初めて「玩具箱」という居場所を得る。「おれ」が居なくなって、漸く安住の場所を得る。「繭」になる以上の不条理、というよりも、「繭」になって自己を喪失する不条理を更に強める二つ目の不条理。 不条理に不条理を重ねた救いようのない話ということになりますが、でも、このとき「おれ」は存在していないのです(「繭」の内側に「おれ」の感覚だけ閉じ込められているとも読めますが、もう読者に対してさえも意思表示することは出来ません)。不条理を感じるのは読者の勝手。登場人物は最早誰も不条理を感じていないのです。 「繭」のこれからを想像することに、さて、どれだけの意味があるのでしょう? 初めての書き込みでかなり長々と書いてしまいましたが、以上が私の「赤い繭」個人的解釈(現在、私はテキストを持ち合わせていないので、細かい事実について、もしかしたら読み誤っているかもしれませんが、今まで抱いている解釈)です。皆様の意見・反論等頂ければ幸いです。
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Re:はじめまして/赤い繭 | ||
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